トレッキング

再び硫黄岳へ

トレッキング

今シーズン何回目かの、硫黄岳登山
いつもと違うのは、単独ではないこと
昔の山仲間が、私が再び登り始めたこと知って、いっしょに登ろうとやってきた。
古びた登山靴、でこぼこのコッヘルと水ポリ、昨夜用意しておいたおにぎりをザックに入れて、三人で登山道を進む。
一人の時は、いつも歩きながら、昔すれ違った風景や、家族のこと、遠い友達のこと、よくわからない想い、そんなことが、いろいろと脳裏を流れていた。
けれど、中年のふとっちょクライマーたちは騒がしい、家族のこと、孫の自慢、山のこと、山のこと、山のこと
山のことだと、どうしてあんな小さな出来事でも覚えているのだろう
ネパールに行った時さあ、山賊に会ったじゃん、お前のそのザックの傷って、その時山賊の刀で破れたんだよな。
ネパールのブーンヒルで、確かに私たちは山賊と遭遇した、しかし、彼らとは友好的に交渉を行い、通行税として一人3,000円を払い、領収書までもらった。
ザックの傷は、それから何日してから、ポカラに戻る途中のバスの荷物係の兄ちゃんにやられたもの、鍵もないザックに貴重品なんかいれるわけがないでしょう。バカ
というわけで、いくらか曖昧な記憶に基づいた会話が赤石鉱泉小屋まで続く。
小屋を過ぎると、急登が続く尾根道、さすがに会話もぐっと少なくなる。中年クライマーけっこう登れるじゃん、会話は少なくなったけど、高度はぐんぐん上がっていく。
やがて赤岩の頭に到着、今日も360°の展望で、水ポリの水を飲みながら、みんな黙って、じっと山を見つめている。まだ9月だというのに、少し肌寒い
赤岩の頭から硫黄の山頂までは、岩とがれ場が続く尾根、頼りない道が続く、やがて、山頂に着いたので、昼飯にしようというと、Iさんが、硫黄岳小屋まで降りようと言う。
降りても、展望はないよ、といっても、なかなか諦めない。しかたがないので、30分かけて山頂から小屋まで下降する。
硫黄岳小屋の前庭のテラスが空いていたので、ザックを降ろし、ガスコンロとコッヘルを出してお湯を沸かす。ザックからアルミホイルに包まれた味噌玉を取り出す。
松本の萬年屋の玉づくり味噌にネギとえのきだけを刻んで混ぜたもの、沸騰したお湯に溶かしこむと、ふくよかな香りのみそ汁の出来上がり。
山で、火を使って、何か暖かいものや、ちょっとしたお腹に入れるものを作るのは、どうしてこんなに、楽しくて、満ち足りた時間を感じるのだろう。山小屋でカレーやラーメンを食べることは出来る。でも違うんだな
小さな小さなこの火で、古びたコッヘルで作るものは、小屋のカレーの何倍もおいしいし、それ以前に、そこには、かけがえのない時間を感じるのだ。
Iさんの姿が見えないな、と思っていたら、Iさんが小屋から出てきた。何やら、銀色の缶を持っている、なるほどこれが目当てか。
山で購入するビールはたいてい350ml缶で500円はする。標高3000m近い小屋まで持ち上げるのだから、高いのも仕方がないが、時折、無性に飲みたくなる。
学生時代に、奥多摩の雲取山小屋にビールを荷揚げするボッカのアルバイトをしたことがある。ビールの段ボールのケース1つで2,000円、登山口の酒屋から受け取った5ケースを背負子くくり付けて、5時間ほどで山小屋に
帰りは走って下った。山に登れて、1万円貰えて、いいアルバイトだったが、サークルのみんながやるので、最後には小屋番から、もう来年の分まであると言われてしまい、終了。次の年から荷揚げはヘリになった。
おにぎりとみそ汁の昼食が終わると、Iさんが赤岳に行きたいと言い出した。しかし、今日は行動食も少ないし、夜にそなえたヘッドランプも持ち合わせていない。
南八ヶ岳、日帰り一周は来年ね、そういって、もとの道を戻る。下山後は、地元の温泉へ、たまらんなあ

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