旅行

ひとすじの道 ⑧

旅行

2020年 12月13日 温田~泰阜村~飯田 30㎞ 6h
天竜川沿いの谷間は白い霧で埋め尽くされていた。その白い空間は、淡くただよい、やがて、朝の光を受けいれて、かすかに輝こうとしていた。風が流れ、空気が動き始めると、あちこちで、緑の木々や家々の屋根が浮き上がるように姿を現した。視界は広がり、それは、緩やかな丘へと続き、輝きの中で、青く澄んだ天空に伸びていった。谷間を包み込んでいたものは、あるものは霧散し、あるものは、谷間の尾根に、はかなげに漂っていた夢のような時間、やがて、光は谷間を、そして街全体を輝かせ、モミやシラビソの木々が、緑に映えていた風景だった。

温田駅から、歩みを進めると、道は丘をたどり、高度をどんどん上げていった。やがて、霧のかたまりを眼下に、輝く丘の頂を過ぎると、目の前には、長い長い下り坂と、その先に続くこれも長い長い上り坂があった。グーグルマップを見ると、飯田市までは、泰阜村を完全に縦断するように、丘と、谷間を、連続的に越えていかねばならない。すっかり葉を落とした林が幾重にも続く景色の中を進んでいく。黙々と道をたどっていると、飯田↑ というシンプルな道路標識に出会う。そうだ 飯田にいくのだ いっきに心が軽くなる。単純な男だが、しょうがない。こうやって生きてきたんだから。

長野県に入ると、どんな田舎でも、道路がしっかり整備されているのに驚く、人家がまばらな地域にも、ハイウエイのような道路が、素敵なカーブで待ち構えている。もみじマークの車は別だが、ほとんどの車は気持ちのよいスピードで、丘を越え、そして、谷間へと下っていく。そんな車たちを横目に、愚直なほどに、ただただ歩みを進める。本当なら、1時間ごとに休息を入れるところだが、いろんなことに想いを馳せながら歩いていると、2時間3時間はあっという間に過ぎていく。人生も後半戦となると、時間を大切に使っていきたいと思う。こんなことを言うと、それなのに一日を歩くことに費やしているの? と言われそうだが、今、私の中で、日本海に向かって歩いている時間ほど大切なものはない。SNSで、いろんな想いをつなげることもできるけれど、自分自身にだだ向き合って、言葉を紡いでいける時間のなんと豊穣なことか。
どれだけの丘と、どれだけの谷間を過ぎただろう。やがて、道は明らかに、天竜川に向かって下降を始め、途中の集落では、お祭りだろうか、爆竹が鳴り響いていた。

しばらくすると飯田の街並みが目の前に広がってきた。飯田は坂の街、そんなこともすっかり忘れていた。天竜川を渡る橋から飯田駅のある中心部まで、かなりの高低差がある。グーグルマップを駆使して、駅舎までの道を探っていく。生活感のある土塀の細い道を抜け、街並みに入っていくと、いたるところで、木造の古い家が残っている。大規模な扇状地にできた街は、リンゴ栽培も盛んで、昔は知り合いの農家もあって、よく家族でリンゴをまとめ買いしたものだ。リンゴ並木と毎年開催される人形劇フェスティバルが有名で、春や初夏は、とても気持ちの良い街

飯田で国道151号線と合流する。実は昔々、豊橋から諏訪湖までは歩いたことがある。その時は、天竜川沿いではなく、山をつないでいく国道151号線を歩いた。小さなテントと寝袋をザックに入れ、バス停や駅舎をねぐらとして、早春の南信州をぼろぼろになって歩いた、諏訪湖までの道のり。その旅は、辛く、苦しい旅だった。いよいよ伊那谷が目に前に広がる。きっと、明日には、たくさんの出会いと、新たな日々が、私が来るのを待っている。

 

 

この空は

この空は
きっと
どこまでも つながっている

遠い土地に生きる
それぞれの想いは

おなじ空を見上げて

きっと
互いを応援している

大丈夫
ひとりじゃないから

 

 

コメント

  1. 寺岡知加子 より:

    色々な風景に出会えていいですね。

    何故にこんな距離を只管歩くのか、わざわざ大変な事をしなくてもいいんじゃない?って思う人もいるかもしれない。

    でも、私は、素敵な時間を過ごされているなあと思います。

    決して無駄ではない、素敵な時間。

    長い文章も、一度きりではなく、たまに読み返したくなる。

    人の人生を変えてしまうかもしれないほどの影響力が、瀧川さんにはあると思います。

    人生において、辛い時、どうしようもなく打ちひしがれる時、そんな時、瀧川さんのブログを見て、何かを感じ、一歩を踏み出せる人がいるといいなあと思います。