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豊橋 街歩き2 記憶の風景(4)豊橋公園界隈

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豊橋 街歩き2 記憶の風景(4)豊橋公園界隈
街には、もう立ち止まってしまったり、風景としては消えてしまった。そういう記憶がある。
豊橋公園周辺には、たくさんの記憶が残っている。
その昔、吉田城は広い縄張りを持ち、城下町を従えていた。本丸の石垣、堀、その周辺の土塁、曲尺手町、鍛冶町などの町名に痕跡が残っている。やがて明治になって、城そのものが取り壊されると、その後には陸軍の師団がやってきた。公園の入り口には今でも兵士の立哨詰所が残っているし、煉瓦でできた武器庫らしきものや、ごみ焼き場らしきものもある。
やがて、戦争が終わると、そこには、向山公園から動物園が移転してきた。ちょっとした遊園地もあり、トンネルを備えたミニ電車も走っていた。その時のトンネルは埋められてはいるが、まだ残っている。
豊川には貸ボート屋があり、対岸の金色島の辺りにはかなり大きな船が係留されていて、宴会なんかができるような感じで、ちょうちんがぶら下がっていたのをぼんやり覚えている。そして、私が市役所に就職したころ、すでに動物園は二川に移転していたが、まだ、公園周辺にはたくさんの店舗があった。市内電車の電停から豊橋公園へつながる道には、すし屋、坂口医院、酒屋、喫茶店、当時では珍しいコピー屋が並んでいた。繁原酒店は当時、当たり前だったが、小さなカウンターがあり、乾き物のつまみで酒を飲ませてくれた。私も実家から歩いて通っていた頃は、先輩に連れられて、よくコップ酒を飲んで帰った。いつも市の職員が何人かいたのを覚えている。もう、あの頃の面影は全くなくなってしまった通りは、通学の自転車が朝夕通り過ぎるだけで、昼間は閑散としている。体育館、市民プール、庭球場、陸上競技場、武道館、野球場、スポーツ施設が集約されていたが、体育館はなくなり、プールもやがてなくなろうとしている。
豊橋公会堂の周辺も喫茶店が営業していたが、店主が老いたのか、店じまいをしている。NHKの豊橋支局も廃止され、建物だけがデーンと残っている。

何年ぶりだろう。公会堂を正面から眺める。この正面の階段は各種の意匠とともに、公会堂の顔ともいえる、昔、まだ国道が通ってなかった頃、この階段でオーケストラが演奏会を開いたと記録にある。そのプログラムのコピーを公会堂の改修事業を担当してた頃、見た記憶がある。
見れば見るほど、ああ、外壁が汚くなったなあと思う。改修してどのくらいたつだろう。
改修当時は薄いクリーム色の外壁がまぶしく青空に映えていた。日本の大動脈である国道1号線の横にあるのだから、仕方がないね。
壁はくすんでしまったけれど、公会堂の上に広がる空はいまでも真っ青な空

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