旅行

ひとすじの道 ⑭

旅行

2021年 1月11日 木崎湖・海ノ口~南神城 9㎞ 4h

ネットで見る限り、JR大糸線は動いているようだった。急遽宿泊した松本のホテル、窓から見る北アルプスの山容は、かすかに明るくなってはいるが、昨日と同じ、雪雲の中に煙っていた。
JRが動いている限り行かねばならぬ。根拠のないその考えかたは、どこから来るのだろう。心がそうしろと言っているのか、そうすることが心を高ぶらせるのか。なかなか難しい性格だ。
しかし、行くなら急がなければならない
今日は豊橋に帰るので、白馬駅を12時過ぎの列車に乗らねば、それを過ぎると帰宅は深夜になる。
まだ暗さが残る街を、タイヤをきしませて走り抜ける。大町に近づくと雪が降ってきた、路面はあっという間に白くなる。やがて、全ての車がスピードを落とし、雪面の上を淡々と無表情で走り続ける。スタッドレスなので、急停車や鋭いハンドリングさえしなければ、めったなことはないと思うのだが、緊張感は高まっている。
やがて、木崎湖畔の海ノ口駅に到着、駐車スペースは、あまり除雪がしていないので、少し心配だったが、強引に駐車する。とても車が再び出ることができるのか確認する勇気はない。素早く登山靴に履き替え、ロングスパッツを両足に装着する。出発
白馬までの幹線道路は除雪と圧雪により、なんとか通行できる状態だった。通常であれば16㎞の3時間の距離、しかし、予想通り全く前に進まない。
道の両側には雪の壁が立ち、その向こうの森は、雪に覆いつくされ、まるで、白い砂漠が続いているようだ。単調な景色が続き、ちっとも面白くない。
昔、大学で山のクラブに入りたての頃、雨が続く山行に、「たまには景色をみたいなあ」なんて同期で話していると、先輩がテントの中にやってきて、こう言った。
山を愛するなら、山の全てを受け入れなければいけない。雨の日でも、嵐の日でも、雪の降る寒さでも、光り輝く山稜や、夕焼けにそまる雲海や、風にそよぐお花畑や、それら全てを同じ様に、あるがままの山として受け入れ、心に刻まなければならない。
その言葉に私たちは激しい感動を覚え、先輩を深く敬愛した。
今思えば、その先輩の言葉は、アルピニストで思想家でもあったガストン・レビュファの受け売りだった。しかし、純粋で何も知らない新入生にはあまりにも崇高な言葉だった。
何年か後、私はリーダーとして秋の妙高・火打山に来ていた。その時は少人数だったので、記録(カメラ)担当も私が兼ねていた。素晴らしい秋晴れの深く蒼い空の下で、山は燃えるように彩られ、七曲の登山道には紅葉が黄色い吹雪にように舞い散るようで、その中を我々は、急登にあえぎながらも、あらゆる景色に圧倒されながら進んでいた。
テントサイトに到着する前に、どうもカメラがおかしいというのは感じていた。シャッターがおりないのだ。その夜、夕食が終わり、テントの中でウイスキーをなめながら、私は新入生に、今日出会った記憶が、何よりも美しいと伝えていた。
写真や映像やそんな形骸的なものが大切なのではない。みんなの心に、今日の想いといっしょに刻まれた、その風景こそが本当の記憶なのだ。
新入生の女子たちは、一様に、夢見るような瞳で、私の言葉にうなずいていた。
今思えば、ひどいことをしたものだ、でも、あの時の山行ほど、美しく、ときめくような瞬間に出会えたことはなかった。
さて、問題は、幹線道路の単調な道だ、たまには、側道をいってみようと思うのだが、側道は圧雪すらされていない。駅に曲がる道も、通る車がないのか,わだちすら残っていない。
やがて、正午が近づいてきた。もう時間がない、南神城の駅に泳ぐようにたどり着くと、2両編成の車両が駅に滑り込んできた。
やがて、この場所に想いを残して、列車は真っ白な雪原を雪煙をあげて疾走していった。
遠くへ、本当に遠くまでやって来た。私は再び振り返る。
そして
いまでも あの土地のどこかで
心は 歩き出すのを きっと 待っている。

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