記憶の中に、いつからか、おぼろげに浮かぶ風景がある。
初めて出会ったはずなのに、激しく心が揺り動かされる風景がある。
八ケ岳の麓、白樺湖の東に広がる八子ケ峰、その山頂付近にヒュッテアルビレオがあった。そして、その風景は、ある日突然私の目の前に現れた。
2022年の初夏、古い山の友達に誘われて、蓼科山登山口のスズラン峠から南に延びる八子ケ峰の尾根に取りついた。
その日は八島湿原、新緑の旧御射山遺跡を訪れ、御射山ヒュッテのベランダでランチを楽しんでいた。野菜を煮込んだカレー、赤や緑や黄色のとろけるような夏色野菜の味わいに大いに満足して、ランチの後の珈琲を待っていた。すると、彼はまだどこかに行きたそうで「ちょっと、いい場所があるから、寄ってみない?」と私を誘った。ズミの木の真っ白な花がヒュッテを取り囲むように咲きこぼれ、風がとおく香っていた。
「ちょっと急登だけど、30分程度だから」彼はそういうと、登山靴にも履き替えないで、斜面にのびる暗い道をたどりはじめた。もう、午後の遅く、日は傾いてる。
「ライトも用意してなかったな」私が心配そうにいうと
「往復で1時間もかからないよ、それにここは星の名所なんだ」そういうと彼はいたずらっぽく笑った。
昔からこういうやつだった、私が心配性なのか、彼が大胆なのか、しかし確かなことは、山の経験は格段に彼のほうが勝っているということだった。
15分も登ると、深い森から離れ、尾根に取りついたようだった。背の低い灌木が茂る尾根道をたどっていると、薄緑の灌木の向こうに登山者のチェック柄の服が見え隠れした。
「あっちの道は蓼科湖へ下ってるんだ」
私たちとは違った道を下っていく、たった一人の登山者、すれ違いの言葉も交わさず、そして、それ以後、誰にも出会うことはなかった。
道は、どんどん高度を上げ、短い時間とはいえ、汗がしたたり落ちた。そして、道が緩やかになると、やがて枯れ草に覆われた広い草原に出た。
その草原の端に立っていたのが、ヒュッテアルビレオだった。
夕日に輝く草原、枯れ草の下に新しい緑を予感させていた草原、そして、赤い屋根の山小屋は真っ青な空の中に、まるで天空を見上げるようにたたずんでいた。
若いころから、山に登っていて、山稜のはるか彼方に小さく見える山小屋への憧れは特別なものがあった。それは、夜間飛行の眼下にまたたく、小さくかすかな灯のような懐かしさではなく、どこか胸がつんとする、うまく言えないが、大切な思い出、記憶が、あそこに行けば出会えるような、体の中に透明な空と風がふきわたっていくような、そんな憧れだった。
そして、今、ヒュッテアルビレオを前にして、私の心はそんな憧れのようなものに満たされていた。
「あれ、営業していないね」
そういうと、古い山の友はウッドデッキにつるされた休業中の看板を持ち上げると、軽くその木片を揺らした。カラカラと乾いた音が静けさをいっそう深くしていくようだった。
「いいところだろう」
「うんそうだね」
二人は、軽く言葉を交わすと、草原の向こうに広がる山々に向かうように、ウッドデッキの階段の端に腰を下ろした。
いつから、休業しているのだろう、昔は見事な赤が空に映えていただろう屋根は、今では、あちこちで錆が浮き、沈んだ赤銅色となって、草原の中に溶けさっていた。
アルビレオの名は、夜空にまたたく、ベガとアルタイルの下、白鳥座のくちばしの位置にあるβ星の通称である。オレンジの3.1等の主星と青色の5.4等の伴星からなる二重星で、その美しい色の対比から「天上の宝石」とたたえられている。ヒュッテの壁には、その星座が刻み込まれ、デッキに置かれた木の長椅子には、「この素晴らしい風景を、いつまでも」の文字が大きく彫り込まれていた。
どんな人が、このヒュッテを建てたんだろう。どんな人々が、このヒュッテでたくさんの季節を過ごし、空を、星を見上げたんだろう。心はゆっくり目を閉じて、それらの記憶をたぐりよせようとしたが、全ては風のむこうに流れてさって、追憶に似た想いに、ただ心がかき乱されるばかりだ。
そうして、しばらく、草原の風に身を任していたが、やがて、霧が流れ、草原が白く閉ざされていくと、二人は言葉を交わすわけでもなく、ゆっくりと立ち上がり、来た道を帰っていった。霧に浮かび上がる夢のような草原から、現実の世界へ帰っていくその道は少し不思議な感じがした。そして、これが、ヒュッテアルビレオとの初めての出会いだった。
嵐が去った後の青空とちぎれ雲、新しい風が吹き渡っていた風景
雨がやってくる、その刹那の、ひくく雲が垂れこめた時間
そして、八ケ岳ブルーの空、高く高く空気が流れていった、透明な出会い
あれから、どれだけ、草原と、空と、あのヒュッテに会いに行っただろうか。
いつ訪れても、ヒュッテには人の気配はなく、私はたった一人、風景と向き合っていた。
追憶は寂寥の想いと重なり、八ヶ岳の峰々から、遠く草原に立つヒュッテを望むときも、その風景への想いは変わらなかった。
そして、ススキの穂が銀色にうねる頃、私は再び八子ケ峰にやってきた。
午後の遅い時間に尾根をのぼり、草原に出ると、傾いた日差しは、ススキの原を輝かせ、風が走るぬけるたびに、きらきらと輝いた。
私はザックから、ガスコンロを出すと小さなコッヘルでお湯を沸かし、ゆっくりと珈琲を楽しむ。東には八ヶ岳の山々が続き、南にはアルプスの山稜が遠くそびえる。そして、眼下には茅野の街。遠くで、鹿がするどく鳴いてた。きっと私を警戒しているのだろう。
私は、どうして、こんなにも、この場所に惹かれるのだろう。心がゆさぶられる想いは、いろんなところで、記憶とつながっている。
風景は、さまざまな追憶を呼び覚まし、私の人生や懐かしい人々の面影をおぼろげに、記憶の中に映し出す。
たぶん、この場所が、そういう場所なのだろう。誰もいないヒュッテ、今はもう色あせて、笑い声が響くこともないこの場所こそが、私を突き動かすのだ。
どこかで、遠吠えが聞こえる。
風は冷たく、どんどん体温を下げていくのがわかる。もう、だいぶ、日も傾いた。
登山道が闇に沈む前に、山を下りよう。そう思い、急いでコンロやコッヘルをしまうと、サックを担ぎ上げた。
やがて、尾根を少し下ったところで、思いもかけず、登山者に出会った。
初老のたった一人で登っていく男性、大きな荷物、ザックにはランプが吊るされている。
「どこまでいかれるのですか」
思わず、私がそう尋ねると、男性は
「今日は、八子ケ峰で、星を楽しみたいと思ってね」
というと、足早に尾根を登っていった。
その後ろ姿を見送りながら、私の中には、今までと違った感動が広がっていた。
あの場所は、過去の風景ではなかったのだ。
自然が与えてくれるものを、何もかも、そのままに受け止めていくこと
広大な夜の闇の中で、全てに抱かれるからこそ、出会うことができる、天空の星々、ベガ、アルタイル、そしてアルビレオ
今を生きていくこと、自然が織りなすさまざまな場面に身をまかせ、今を生きていくこと
そして、あの男性のような生き方をしてみたい。
私にできるだろうか。もう、時間はあまり残っていない。この地で生きていく覚悟、今までの生き方を捨て去る覚悟、私の中で何かが確実に変わっていった。
やがて、夕闇が近づいていた。しかし、尾根を下る私の足取りは軽く、明日への憧れは、早朝に輝く森の木々のように、心を未来へつないでいくようだった。
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