今回手に入れた山荘はカラマツ林の中にある。別荘地の管理会社がいい加減で伐採もしないので、木々が伸び放題だと周辺住民は嘆くが、カラマツの深い森の中に山荘はたたずんで、いろんな野鳥の、その透明な声が響きわたる朝はたとえようもない。
山荘の隣人は老人ばかりで、聞けばこの別荘地は20年以上前に開発され、ほとんどが退職を機にこの土地に住み着いた人たち。朝、いつも私の山荘の前を通って新聞を取りに行くお父さんは、今でこそ杖をつき足が不自由だが、昔は山登りで鳴らしたそうだ。そして「朝3時にここを出れば、硫黄岳、赤岳を回って、お昼には家で妻が作った昼食を食べていた」などと言う。往復8時間、標準的なコースタイムなら12時間かかるコースだ。
もう少しこの山域に体を慣らすまでは、そんな無茶はできない。まずは軽めにと選んだのは山荘~硫黄岳の往復、それでもコースタイムでは8時間かかる。
前日に、梅干しと塩昆布のおにぎりを握っておいた。行動食はチョコレートとチーズ、1リットルのポリタンクにスポーツドリンクの粉末を溶かし込み、朝5時に山荘を出る。赤岳鉱泉小屋まで、沢沿いの谷間を進む。谷間の道はまだ薄暗いが、見上げれば今日の目的地の硫黄岳に続くスカイラインが朝日に輝いている。朝は確実に広がっている。沢の音が谷間に響いている。風もない空間に、心はうつむいたまま、奥へ奥へと分け入っていく。ただ、何も考えず、歩みだけを進める。沢沿いに続くひとすじの道、朽ちかけた道標、しぶきをあげて流れ下る沢、厚い苔で覆われた森、やがて、心が木々の中に溶けていくような感覚の中で、少しずつ高度を上げていく。
朝露で、重そうにゆれる草原を横目に、何回かの沢を渡る。その刹那、山の端から、新しい光が谷間にひとすじ降り注いだ。草原の朝露はいっせいに輝き、風になびくと、まるで水晶の丘のようだ。沢の流れに踊る飛沫は光をあちこちに反射させ、シラビソの樹林には軽やかな光が風と躍っていた。
ここは、この時だけの風景、やがて、この輝かしい一瞬は過ぎ去り、私は再びここに出会うことはない。いつも、そうであるように、やがて、この朝の風景は立ち止まり、明るい昼下がりへと移ろっていく
コースタイムよりもいくらか早く、赤岳鉱泉小屋に到着する。樹林の間から、カラフルなテントが見えたかと思うと、突然、山小屋が目の前に現れた。山小屋を取り巻くように登山者のテントが張られている。朝7時、まだ登山者には出発する動きはない。ガスコンロやガソリンコンロの音がそこかしこに響いている。山小屋の自家発電の音が遠く聞こえる。山小屋ではおなじみの懐かしい音だ。この音と、山小屋特有のにおいに包まれると、記憶は、いままで出会った、たくさんの山小屋と、どこまでも広がる山々の景色に飛んでいく。
赤岳鉱泉小屋の水場でのどを潤すと、山小屋の脇を抜け、硫黄岳に続く尾根道を進む、道はシラビソの林の中をジグザクに曲がりながら、高度をぐんぐん上げていく。やがて、背の高い暗い樹林から、背の低い明るい樹林に様相が変わり、一時間も過ぎれば、森林限界を超える赤岩の頭に到着する。いつの時でも森林限界を超える瞬間は、心がいっぱいに伸びをして、想いは彼方へ続く山稜や、はてしない天空を、どこまでも駆けまわっていく。
目の前には硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳まで、どっしりと続く稜線が横たわり、振り返れば、遠く、南アルプス、中央アルプス、御嶽山、北アルプス、北八ヶ岳の峰々があざやかに浮かび上がる。北アルプスの槍の穂先がかすかに見える。
透明度の高い空、白と赤が断続的に続く山肌のがれ場を進むと30分ほどで硫黄岳山頂、数人の登山者が見える。平日の山は、そのほとんどがおひとり様登山だ。広い山頂のあちこちで、草原のヒツジのように、ぽつんぽつんと、それぞれが思い思いの場所で腰を下ろし、眼下に広がる景色を見つめている。
八ヶ岳の裾野に広がる町、遠く諏訪湖の湖面が水色に映えている。北八ヶ岳の稜線や諏訪湖が望める草付きの岩場で腰を下ろす。ザックから、水とおにぎりの包みを取り出すと、ゆったりとした時間が流れていく。
そして
心地よい風の中
見渡す限りの風景と素晴らしい沈黙の中に私はいる
生きている、大地とつながっていく
また、新しい旅が始まったのかもしれない
明日はどこに行こうか
コメント