2020年 12月11日 水窪~大嵐~伊那小沢 33㎞ 7h
この町は、いつ目覚めるのだろう。早朝、水窪駅に自家用車を置いて、誰もいない商店街を過ぎると、旧富山村へと通じる道は青崩れ峠に向かう国道から別れ、ひっそりと山に分けいっていった。坂の道は、ゆるやかに蛇行して、少しずつ高度を上げていく。
やがて、突然現れた通行止めのサイン。1分ほど考えたが、無視して歩く。路肩の崩壊は人間なら通れる場合が多いし、高巻してもいい。しかし、このことで、大嵐駅に着くまで人に会うことはないだろうと思われた。それよりも通行止めのサインの横にあったクマ出没の看板の方が気になった。まだ、雪になっていないので、冬眠していないかもしれない。
崩壊地は何とか通過できたが、時間が経過するにつれ、少し、心細くなる。
道は、奥へ奥へと続き、山がどんどん深くなっていくのがわかる。足元で、山鳥がけたたましい声をあげ飛び立っていく。木々が伐採された後に植えられた苗木は、鹿の食害を防ぐため、どれも白いプラスチックのカバーに包まれ、山肌全体がまるで墓標のようだ。
心がさわさわするので、歌をうたいながら歩く、昔よく歌った山の歌。大学時代、山のサークルで作っていた山の歌集はまだ手元にある。1年生の時にはこれを全部暗記させられた。今でも、結構歌えるものだ。
「ほろほろ こぼれる 白い花を 受けて泣いていた 愛らしいあなたよ。覚えているかい 森の小道 僕は悲しくて 青い空仰いだ。何にもいわずに そっと泣いていた 小さな肩だった 懐かしい思い出」
山々をたどりながら、いつも、みんなで歌っていたあの歌。急登が続く正念場では、チーフリーダーが必ず、安曇節を歌った。
「寄れや 寄ってこい 安曇の踊り 田から 田から 畑から 田から 畑から 野山から」
あの頃、どんな急登でも、朗々と歌い上げることができた自慢の歌も、今は、1節ごとに、息が上がる。
歌い続けていると、あっという間に5時間が過ぎた。暗いトンネルも、葉をすっかり落としたがらんとした林も、垂れこめた雲も、冷たい風も、ちっとも寂しくなかった。だって、一人ではなかったから。
かなり前に放棄されたと思われる集落を抜けると、明るくひらけた谷間に青空が広がっていた。山腹を縫うように下っていく道をたどると、やがて、緑色のダム湖が現れ、その岸辺に立つ大嵐駅に到着した。
今日はここまで のはずだったが、ダム湖(実は天龍川)の湖面があんまり素敵にきらめくので、もう少し歩くことにする。
湖岸道路を伊那小沢駅までゆく、途中、小和田駅や中井侍駅があるが、対岸にあり、ここからたどる道はない。
湖面をときおり、川砂を積んだ運搬船がタグボートにひかれていくが、おなかに響くそのエンジン音は、やがて、少しずつ離れていくと、遠く山々の懐にゆっくりと消えていった。後には少し冷たい風と湖面にきらめく光があるだけだった。
快調に歩いていると、突然、目の前にサルの群れが現れた。ダム湖から山に入りたいのだが、どうも私がいるので躊躇しているようだ。私も同じように躊躇していると、やがて、一匹の体格のいいオスザルが、道の真ん中にやってきて でんと腰を下ろすと、私のほうを睨み、ひと声鋭い声を上げた。
私も睨まれた以上、同じように睨み返していると、そのオスザルの背後で、群れの子供たちやメスたちが何匹も何匹も、道路を横断して山に入っていった。そして、ひとしきり、群れが渡ってしまうと。オスザルはゆっくりと立ち上がり、私のほうを軽く一瞥し、悠然と山に分け入っていった。
あんた いい男だね。
コメント
読みながら緊張感が増してきて 自分も歩いている気分になりました。あーびっくり。オスザル さすが!
通行止めのサインを無視して前に進むのに、熊出没の看板は、やはり気になるのですね。
心細くなる時もあるんですね。
あれ、普通の人だった?
山のサークルで歌っていた歌が気になります
ぜひ、ご披露お願いします
サルと視線を合わさないように教えてもらったことがあります。睨み返したんですね
最後のひと言が良いですね
(笑)