旅行

ひとすじの道⑨

旅行

2020年 12月24日 飯田~駒ヶ根 35㎞ 7h
私は再び、ここにやってきた。このひとすじの道に。
青い空には、すじ雲がかかり、数時間後の天候の悪化を予感させていた。穏やかな起伏が続く伊那谷の丘は、田畑の枯れ草の色と、杉林のくすんだ緑と、その緑に囲まれた、暖かな集落の色が、グラデーションのように続き、その中で、雲なのか煙なのか、白い帯のようなものが、所々でたなびいていた。谷のむこうには、南アルプスの峰々が、まだ青い空に白く映えている。あれは、北岳か
青い空には、深い思い入れがある。昭和57年、大学3年の時、私たちは4つのパーティに分かれ、この南アルプス北部に入山していた。私は4つのパーティとは別に、仙丈ケ岳の山頂直下にテントを張り、トランシーバーによる各パーティとの連絡、天気図による天気予測の提供をおこなっていた。その時の山行は、数日後にこの山域に直撃した大型台風により、各パーティは脱出ルートを分断され、私は、そのうちの2パーティを率い、崩壊した道路を懸命にルート工作し、脱出した。記憶はなぜか、人生で一番真剣に考え、仲間と力を出しきって、切り抜けたあの数日ではなく、入山初日の朝、南アルプス北部の登山基地である広河原へ向かうバスの中で北岳の肩に見た青い空、残雪と新緑の山肌のむこうの深く、はるか彼方へ続いているような青を強く記憶していた。私はその空に、心を激しく揺さぶられ、いまでも、あの時の青を探し続けている様な気がする。

幹線道路の狭い歩道を排気ガスの中で歩くのは嫌なので、谷の上部の農道や旧道をつなげて進む。
もう、どの道を歩いたのか。忘れてしまった遠い時代に、ここを歩いていた。春の雨は時折激しく降り続き、安物の雨具はただ体を覆うだけで、汗と雨は一様に体を濡らしていった。
道路を歩くには不向きな軽登山靴は、足の皮膚を切り裂き、靴の中は出血で、ぐちゃぐちゃになっていた。でも、そんなことはどうでもよかった。ただただ、歩みを進めること、それが唯一、壊れそうな心が救われることだった。
いまもう一度、ここを歩いてみると、穏やかな道が、ゆっくりと私の前に広がっていた。集落ごとにある道祖神や馬頭観音はこの道の深い歴史を伝えてくれる。
心は穏やかだろうか。私は自問してみる。
あの時と同じ様に、歩き続けることが、自分には合っている。孤独は決して辛いわけじゃなく、自分の弱さに向き合うだけのこと、だから、歩き続けていく。

やがて、風は冷たく、山々は雪雲に覆われていった。ひとしきり、風に流された雪片が街を、私を包んでいく。
あの時、ぼろぼろになって駒ヶ根にたどり着いた私を、この土地のおじさんが見かねて、自分の家に泊めてくれた。暖かい食事、温かいお風呂、どうしてこんなに親切にしてくれるのだろうと思った。
今宵は、清潔なビジネスホテルに宿泊、お金も装備も、あの時と比べ物にならないのに、ふと、あの時代が豊かに輝いて見えるのが不思議だ
夕食は名物のソースカツどん、有名な明治亭で食事を済ますと、外は凍えるような寒さ
明日には、心はこの先、どこへ行けというのだろうか。

 

 

聖夜の終わりに

今宵
誰よりも優しく、素敵な君には
星が、たくさん、たくさん
降りそそいだだろう

僕は、この広い世界の
ほんのちっぽけな命にすぎないけれど

この聖夜の終わりに

想いは星となって
君に、そっと舞い降りていきたい

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