旅行

ひとすじの道⑩

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2020年 12月25日 駒ヶ根~辰野 37㎞ 8h
駒ヶ根のホテルから望む中央アルプスは、濃い雪雲に包まれていた。今日は一日こんな天気なんだろうか。しばらく見つめていると、雲がゆっくりと動いているのがわかる。やがて、青空がのぞくかもしれない。外気はかなり低いが、風はない。まだ眠りについている駒ヶ根の街を出発する。
昔、この街で、一晩をお世話になった。その翌日、歩き始める私の前には中央アルプス、風景の全てを覆いつくすような大きな大きな山稜。あの時のあの山があんなにも鮮やかに、今よみがえるのは、あの時と同じ様に、自分が心の空洞を埋める何かを求めているのかもしれない。
中央アルプスの千畳敷山荘に1シーズン勤めていたこともある。1シーズン同じ山にいることの幸せは計り知れない。山は、その厳しい面も、やさしい面も、なによりも美しい面も、全てを与えてくれる。朝のたとえようもない輝き、お花畑の風になびく色彩たち、山肌に漂う柔らかな香り、青い空のもとで山稜をこえていく彩雲に包まれる、夢のような時間、そっと瞳を閉じると、山全体を感じることができた、あの幸せ。そして、明け方に浮かび上がるどっしりした山容のシルエット、全てが深い沈黙の中にあった。全てのことを受け入れたからこそ、与えられた贈り物だった。

街道は、やがて、太陽の輝きに照らされ、目の前の山稜には青い空が広がっていた。白い雲と青い空がせめぎあう中で、この風景を誰かに伝えたいと思った。この青い空を、あなたにあげよう。そんな言葉が浮かぶ。心が少しだけ軽くなった。
吹雪と、太陽の光の繰り返しの中で、やがて、道は住宅街の中をたどり、あちこちで。子供たちの帰宅風景に出会う。そうか、今日は終業式か、小学生の子供たちが、私のような見慣れない大人にも声をかけてくれる。せっかくかけてくれた言葉に、せいいっぱいの笑顔で答える。いつの間にか普通の、どこにでもあるような川の流れになった天竜川は、はっきりとしたひとすじの道を、わきに従え、枯野の中を、辰野の街へと続いていった。
朝から、シリアルバーだけで、歩いてきたので、辰野の街を前に、エネルギーが完全に枯渇する。これだけの町をつないでいくのだから、コンビニやスーパーぐらい簡単に見つかると思ったのが甘かった。少し足取りがふらつき始める。荷物がこれまでになく重く肩に食い込む。青空の中を雪が舞い始めた。やがて、小さな建設会社の門の付近で、うずくまってしまう。少しずつ休憩しながら進むしかないな。降りしきる雪に風景が覆われる中で、歩道の縁石に腰を下ろすと。傍らに飲料の自動販売機がるのに気が付いた。その中におしるこの缶があった。少し古びた従業員用の自動販売機、たいして期待もしないで、コインを入れると。奇跡的におしるこが出てきた。その流動食は、やがて、体のすみずみまで、エネルギーを運び、なんとか動けそうになる。ついでに、同じ自動販売機から、甘酒を選んで、飲み干す。やがて、雪が舞う中でも、太陽が輝かしい風景を現しはじめた。再び歩き始める。
辰野の駅に到着する。この駅は飯田線の入り口、これから先は中央線になる。ずっと私を導いてくれた飯田線に言葉を残していく。ありがとう、私はこの先へゆく。


この駅は山から下りてきたり、旅の終わりに、飯田線の終電(豊橋までの)に乗り遅れ、一夜を過ごした駅、駅舎はその時の面影はないが、ホームを覗くと、見覚えのあるホームと連絡橋がまだ現存していた。あの待合室で、朝まで寒さで震えていた、懐かしい空間だ。
辰野の街は、両側を山に囲まれ、その真ん中を天竜川が流れていく。この谷間をこえれば、そこは諏訪湖、あと数時間の距離にあの諏訪湖がある。
訪れてみたかった天竜川沿いにある鯉の料理店で夕食を終えると、再び辰野駅へ、今日は、ここまで
心は、少し、ふるえているようだ。

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